M'sキャリアラボ*キャリアコンサルタント 谷口 真紀 オフィシャルサイト

私のワーキングマザー生活③

ワーキングマザー生活の続き・・・・

 

初めてのワーキングマザー生活、始まってからはずっと

子どもは病気、病気、入院、点滴、、を繰り返し、1日1日目の前のことを

こなすのに精いっぱいだった私。

忙しい夫に八つ当たりしたり、手伝いにきてくれた母にも文句を言ったり、

家庭も徐々に荒んでいきました。

 

ある日、どういう状況だったのかよく覚えていないけど、

多分、子どものお熱で保育園に呼び出された時だったと思います。

保育園の園長先生に、もう無理だと思う、仕事も保育園も辞めようと思う、と

泣きながら伝えました。その時子ども、生後8か月。

 

その時の園長先生の表情は今でも覚えています。

ちょっと待っていなさい、と私と子どもを職員室に置いて、

サンダルをひっかけてどこかへパタパタと走って行ってしまいました。

・・・この状況で放置プレイ?と呆然とその背中を見送っていたことを

覚えています。

ほどなくして戻ってきた先生は、私に、保育ママという存在がいることを

教えてくれました。

当時私の住む街では「家庭的保育」という制度は無く、すべての保育ママは無認可で

口コミでしか出会えない人でした。

園長先生は、その人に会いなさい、保育園のすぐ近くに住んでいます、と私を

案内してくれました。

 

それから、その保育ママさんの知り合いの方を紹介していただき、

私と子どもは、そこにお世話になることにしました。

他に選択肢はなかったのですが、後に私の恩人となるその保育ママさんが

「うちの子達と同じように育てさせてもらう」、と言ってくれたこと、

そのママさんのお子さん3人が、とても素直で良い子達だったことで

より安心感は増しました。

 

助けてくれたのは、園長先生や保育ママだけではありませんでした。

当時の上司は、私の状況が危機的であることを見て取り、

子どもが1歳になるまで何度でも育児休暇が取れる制度を探してくれて、

もう一度休暇を取るよう言ってくれました。

ただ、その時はもう私は周囲の好意を受け取る感度も低くなっており、

上司にそれを言われたとき、「私はもう会社にとって必要ない人間なんだ」、

と返って卑屈になってしまいました。

 

自分に余裕が無いとき、なんでも悪い方へ悪い方へと受け取る

負のスパイラルに入っていくんですね。後で自分を振り返った時

この事実に気付いて、本当に怖くなりました。

 

これだけの人が私たちに手を差しのべてくれているのに、

まるで手負いの獣のように、牙をむいていた私。

 

最近になって「産後ケア」という言葉を知り、産後のママの

体と心の状態に関する知識を得たとき、自分が正気じゃなかったんだということを、

ようやく理解しました。

 

この保育ママさん一家に出会ったことは、私の人生の大きな分岐点でした。

 

それから約3年後、私はフルタイム正社員の仕事を辞めることになるのですが、

この保育ママさんとそのご一家がいなければ、おそらく第二子も

生まれてこなかったと思います。

 

生活が変わったことに加え、私の考え方が、「自分」を中心としたものから、

「全体の中の自分」という視点に変わっていったのです。

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